寄らば大樹の陰とかって嫌い

♪暗い水の流れに打たれながら 魚たち のぼってゆく
 光ってるのは 傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから…

♪浮気女と呼ばれても 嫌いな奴には笑えない…


と、いきなりみゆきサマの歌詞からですが。

何か最近めちゃくちゃ気になるのが「寄らば大樹の陰」的発想。

誰かが大きな声でモノを言うと、ひよひよひよっと日和ってそっちに流れちゃう。
お前ら、自分の意思っちゅーもんがないんか!?と思う。

私、大学出て1年した頃かな、ある事件があって、自分で決めかねて友人に相談したら、

「最終的に決断するのは自分だよ。自分のことなんだから。泣いても笑っても自分が責任を取らなきゃいけないんだから」

みたいなことを言われたんです(めちゃ、キミのことだよ(笑))


それがずっと私の中で一つのものさしになってます。

何か決めなきゃいけないこと。
小さなことでも大きなことでも。
例えば喫茶店で何を注文するかとかから、今後の人生をどうしていきたいのか、まで。

自分のことは自分で決める。

それが当たり前の感覚になった今、世の中を見ると、寄らば大樹の陰とばかり、人の意見に左右されてる人が多い。

マスコミが(あるいは2ちゃんねるみたいな大きな掲示板が)叩けば、みんなも叩く。
そのヘンがスルーしてると、みんなもスルーしちゃう。

それは脳みそ使わなくていいし、ラクな生き方なんだろうと思う。
もし、それで上手くいかなくても、自分で責任取らなくていいし。

でも、それは「自分」じゃないと思う。

「我思う、ゆえに我あり」

って誰かが言った(デカルトでよかったっけ?誰か哲学者(笑))

でも、その「思う」「我」がいなくなっちゃったら、

「我は思わず、ゆえに我はなし」

ってことになっちゃうよね。
そんなのいやじゃん。
情けないじゃん。

と、本日(をわっ!日付かわってる(爆))ラストの記事はちょっとマジメそうに(笑)
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by sei_97 | 2008-07-12 00:54 | 教育とか社会とか
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